月夜見 
“ちょいと茶話でも”

       *TVスペシャル、グランド・ジパング ルフィ親分シリーズより

 
落語が好きな余波でか、
相変わらず、お話に入る前には枕の要りような困った筆者で申し訳ない。

昨夜 観ていた『となりのマエ○トロ』という番組の中で、
江戸時代の初めごろまで 凧揚げは実は“烏賊”揚げだったという話を聞いて、
転げ回って笑ったもーりんでして。
あんまり流行したもんだから、
空中でぶつかったのどうのという揉め事が多発。
また、糸の切れた凧、もとえ イカが、
武家の屋敷や行列へ飛び込んだりと、何かと問題が絶えなかったので、
家綱の時代にとうとう“禁止令”が出たのだけれど。
それでもイカを揚げたかった人々は、
取り締まりの役人へ“これはタコでございます”と言い逃れたんだそうな。
うあぁ、それは知らなんだなぁと、
笑った後に微妙に悔しくもなったという、変な奴でもありました。
江戸の風俗、結構押さえてたつもりだったのになぁ。
しかも凧揚げ名人の話も書いたのにねぇ?
(苦笑)
そんな風に思うくらい、
江戸の風俗に限らず、様々な蘊蓄話も大好きなおばさんで、
今ほど“雑学王”がメジャーじゃなかった頃にも、
その手の本とかクイズ番組とか、好んで接してもいたのですが、
それでもまだまだ、判らないこと知らなかったことがあるのですから、
何だか楽しいですよね。


ちなみついでと言いますか、季節柄のお話として、
ジューン・ブライド、花嫁衣装のネタ話を一席。
これも案外と最近、NHKだったかで取り上げられてた話題ですが、
今、中国の若いカップルの間では、
白いウェディングドレスでの挙式がブームなんだそうで。
何で今更“ブーム”なんて言うのかといえば、
中国では“白”は元来 喪の色なので、
結婚式の衣装に白なんてとんでもない、
正気の沙汰じゃないというほど考えられないことだったのだとか。
(西欧や日本の挙式で、花嫁が漆黒のドレスを着るようなもんです。)
あちらでの祝賀色の正統派は やはり“赤”で、
花嫁衣装も赤い着物や赤いドレスが主流。
日本には“白無垢”という衣裳もあったんで
西洋の文化であったにもかかわらず、
あっさり受け入れられた純白のウェディングドレスでしたが、
日本の超有名なウェディングドレスのデザイナーが
自慢の白い衣裳でもって中国進出をと乗り出した折は、
どの人も“白ってのは まず当たらなかろう”と見込んでたほどだったとか。
それがまあ、今時の人はそういうのにこだわらなくなったのか、
欧米化がそこまで進んでいるということか。
赤いドレスも用意はするけれど、
披露宴の最初に華々しく純白のドレスで登場するケースも増えつつあるとかで。

 色にまつわる感覚って国によってそんなにも異なるんですねぇ。

ちなみついでに、
日本で赤というと、やっぱり紅白のおめでたい色じゃあありますが、
近世以降では囚人服も赤だったんですよね。
以前にどっかのお話で取り上げたことがあると思うのですが、

 『敷島の 大和おのこのゆく道は
    白きころもか 赤きころもか』

もーりんにとっての出典は 任侠ものだったはずで、
その先は死んでしまうか罪人になるかしかない無謀なことであれ、
一旦決めた道ならば貫き通すもんさ…とかいう意味合いだったような。


   相変わらずの斜めな着地で、相すみませぬ。





      ◇◇◇



このシリーズでもタイトルにしたことがある言い回しに、

  ―― いずれが アヤメか カキツバタ

というのがあって。
本来は、アヤメとカキツバタはあまりに似ていることから
それと同じほど見分けがつけにくい、
どっちがどうと言えないという意味での似た者同士を指すのだそうで。
甲乙つけがたいほど優劣が拮抗しているという意味合いが強く。
筆者が時々使う“いづれが春蘭秋菊か”のように、
どちらもそりゃあ麗しくって素晴らしいと、
複数お集まりの女性を指して、
その風貌の綺羅らかさなどを評価をしたいときによく使われる。

 「確かになぁ。
  アヤメとカキツバタってのは、よっく似ている花同士だもんな。」

しみじみとという感慨込めて、
麦ワラの親分がそんな一言呟いたので、
何だ何だ、嵐の前触れかなんて、
十分に失礼な言いようをしちゃった面々がそちらを見やれば。
使い込まれてのこと、
つやも出てるがよくよく見れば細かい傷も山ほど付いた、
がんじょうな天板を使った長卓に向かっていた、
赤い格子柄の着物を羽織った、小さな背中の持ち主さん。
行きつけの“かざぐるま”にて、
季節のお花の数々が繊細な墨の鉄線にて描かれた草紙を手元へ広げ、
ふ〜ん・ふむふむと鹿爪らしくも眺めておいで。

 「親分、そんな草紙をどうしたよ。」

ご町内の見回りから戻ったばかりの下っ引き、
蚊トンボみたいに手足のひょろ長い、
ウソップという若いのが、板場へ昼飯を注文しつつ そうと訊けば、

 「ほら、俺らの住まう長屋の裏店のご隠居がよ。
  俺んチのお隣のお嬢ちゃんに、
  これを渡してやってくれまいかって言って来てな。」

 「ああ、あの凧揚げ名人の。」

ルフィやウソップが住まいにしているのは、随分と古びた長屋だが、
貧しいながらも気のいい住民たちが笑顔絶やさず住まわっている、
そんな明るさでも知られていて。
通りというほどの広さもない小道を隔てた裏手にある、
小ぎれいな寮に住むご隠居も、
時折押しかける無邪気な子供ら相手に、
読み書きを教えたり、得意の竹と紙の細工物を作ってやったり、
和やかなお付き合いをしている模様。

 「おリカがな、ご隠居さんの読んでたご本には、
  そりゃあきれいなお花や景色の絵が、
  それも丁寧な色つきで刷ってあるって。
  ちゃんと見ていて覚えてたらしくってって話をしたらよ。
  もう読まないのが何冊もあるから、
  良かったらもらってやってほしいって。」

 「そりゃあ いい話じゃないすか。」

子供向けの草紙だって今日びそんなに安いもんじゃあない。
学者だの絵師だのになろうってんでもない身の一般人が、
娯楽のためだけに本を手に入れるなんてのは、
とんでもないほど贅沢な話で。
ならば貸本はと言や、借り手の大半の年代に合わせて、
もっぱら大人向けの読み本ばかりというのが相場。
おとぎ話や風景画なんてのが主体の代物なんて、
借り手も限られているから そうそう置いてやいなかろう。

 「で、そのブツを、先に親分が眺めてたってワケですかい。」
 「そーだ。」

何でそこで威張りますかねと、
据えっ放しになってた土瓶から湯飲みへ注いだ、
まずはの湯冷ましを飲みながら、
あははと乾いた笑い方をしたウソップだったが、

 「だからよ、ウソップはアヤメとカキツバタの見分けってつくか?」
 「アヤメと……何ですて?」

随分と手ずれしていて開きやすいその草紙は、
ちょうど今時分の風景なのだろ、
紫の花が咲き乱れるどこかを描いており。
その周辺へ着飾った婦人方が澄ましたお顔で花見に来ておいで。

 「咲いてるところで分けるなら、
  アヤメは陸地、カキツバタは水辺に咲いてんだと。」
 「へぇえ。」
 「で、花だけ見て見分けんなら、
  あやめは花びらの付け根が網模様になってるが、
  カキツバタは白い三角なんだな。」

その網目が“文目
(あやめ)”なのでアヤメと呼ばれたという説もあるほどで、

 「似てるといや菖蒲はどうですよ。」

あれだって同じような、こう…花びらが垂れてる花じゃあないですかと、
どういやいいのか困ったように身振りを入れたウソップだったが、

 「へへ〜ん、そこよそこ。」
 「はい?」

急に胸を張った親分さん。
やたら歯並びのいいところを主張するよな笑いようをし、
草紙をぺらりとめくって見せて、

 「俺らが“菖蒲”って呼んでんのって、
  ホントは花菖蒲ってののことなんだってよ。」
 「…はい?」

  ほら此処に書いてあらあ。
  ホントの菖蒲ってのはサトイモの仲間でよ、
  ガマの穂みてぇな花がつくんだと。
  で、俺らがアヤメみたいな花のを“菖蒲 菖蒲”って言ってんのはよ、
  ホントは“花菖蒲”っていう別のなんだって。

 「ふえぇえ〜。」
 「…おやまあ。」

ウソップが気の抜けた声を出し、
片や、そんな彼への定食の載った盆を持って来たサンジが、
これでも彼なりに感心して見せたのは。
そんなこと知らなかったっていう事実へ、ではなく、
どーだ参ったかと言いたげなルフィの方へ。
大方、最初に持ち出した言い回しの意味か何かを、
おリカちゃんにでも聞かれたか。
でも、そん時は本人にも意味が分からずで。
こうやって調べてやっと身につけたんで、
誰ぞに言いたくって言いたくってしょうがなかったのかもしれない。
だとしたら、

 “…相変わらず可愛いお人だよなぁ。”

今時、十代後半の若いのでも、
そんなこと知ってたって飯のタネにもなんねぇと、
可愛げのない突っ張りようをするってのに。
もっとずっと小さい和子が、
大人みたいに物知りだろうと威張っているようにしか見えず。

 「じゃあ親分、これは御存知か?」

へっへ〜んと低い小鼻を膨らませている博識小僧へ、
そちらさんはもう食べちゃった昼餉の付け足し、
串に刺した団子を差し出しつつお声を掛けた金髪の板前さん。

 「よもぎ団子。」
 「じゃあなくて。」

誰が 今差し出したもんを訊いとるかと、

 「そだよな。
  ちゃんと何はどれって名前で覚えてねぇなら、
  もう作ってやらんって言ってたもんな。」
 「……それは判ったから。」

放っておくとどこまでも脱線しそうな親分へ、
やや引きつった苦笑顔をしてから、

 「さっき名前が出た菖蒲だがよ。
  やれ、湯に入れろとか、刻んだのをつけた酒を飲めとか、
  何でまた端午の節句に持て囃されっか知ってるか?」

 「え?」

菖蒲湯に入るのは知ってたらしいが、酒の話は知らなんだらしい親分さん。
えっとうんとと懸命に小首を傾げるところがまた、
幼い子供のようで可愛いったらありゃしない。
こういう話をしていた場じゃあなかったならば、
知らんとあっさり諦めてただろに。
下手にアヤメやカキツバタへの蘊蓄を垂れた直後だったせいか、
え〜っとえっとと、無い知恵を絞って頑張っている模様であり。








 『正解は、葉っぱにゃ竹や笹みたいな殺菌作用があるんで、
  体を清める効果があるって効能から、病除けに菖蒲湯につかるんだな。』
 『ふ〜ん。』
 『あと、菖蒲の根っこにも薬効成分が多いと言われてて、
  なんで、刻んで酒につけ、それを飲めば内臓にいいんだと。』

 それとな、それとな。菖蒲の葉っぱはお武家さんの刀に似てるから、勇ましい子になるようにって、子供の祭りでもある端午の節句に使うんだと、と。いっぱい教えてもらったあれこれを、たまたま場末の川辺の空き地の隅にて顔を合わせた、某 雲水さんへも手元や腕を振り振り教えてやれば、

 「…いやにあれこれとお説が一杯あんだな、菖蒲ってのにはよ。」
 「おうよ。」

 我が手柄のように薄い胸をむんと張った親分だったが、

 「昔っからチビっこってのは風呂入んのイヤがったからじゃねぇのかな。
  こういう御利益があるんだよって言い聞かせてサ。」

 それはどうだろうか。
(苦笑) ゾロもまたそうと感じたものか、何とも返事をしないまま、ただただ笑って聞くお顔を続けておれば。

  あ・そうそう、しょうぶって読み方が一緒だから、
  勝負ごとへの験もいいんだってよ。
  でもサ“験”って何のこった?
  いくら何でもそこまで訊いてちゃ、
  サンジから馬鹿にされっかなって思ったから訊けなくてよ。

 そんな謙虚そうな言いようの割に、大口開いての“だっはっはvv”と大笑いする親分さんだったものだから。

 「前兆とか縁起って意味だよ。
  験がいいってのは、縁起がいい、いいことがあるぞって意味ンなる。
  たいがいは博奕打ちが使う言い回しだな。」
 「そっかぁ。」

 じゃあ、俺りゃあ賭け事には縁がねぇから関係ねぇやと。そんなことも無かろう、検挙する側だろうに、呑気な言いようをする親分さんの屈託の無さへと、釣られたように苦笑をこぼしつつ、

 “どこの寺子屋だ、ったくよ。”

 あんのグル眉の板前め、いかにも女好きですってぇすけべえそうな顔してやがんのに、そんな健全な物言いしてやがんのか? 虚無僧のお兄さんの胸の内にてそんな憤懣が膨らむ傍ら、雨でも近いかちょっぴり湿っぽい川風に若い柳の枝がふらりと揺れる。

 “この親分に限っての態度だってんなら………。”

 だってんならどうなんでしょうかお坊様。饅頭笠の緒を支えてる、頑丈そうな顎の奥にて。ぎりりと奥歯を噛みしめて、よー判らんことへの決意を固めたらしかったが。梅雨を前に、おっかない血の雨がどうか降りませんように。(おいこら)





   〜Fine〜  10.06.07.


  *やっと初夏らしくなった途端、
   凄んごく蒸し暑かった晩を迎えた我が家でございます。
   ここへ湿気が増すと、黒いGも出没するから やぁよねぇ。

   それはともかく。

   いずれがアヤメかカキツバタ…というのを
   あらためて調べてて言うんじゃないですが、
   杜若(カキツバタ)って字を見て、
   いつもいつも“とちのわか”と読んでしまいかかるのは、
   もーりんくらいのもんだろか。(どこが“ともかく”な話なんだか・笑)

感想はこちらvv めるふぉvv

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